五十幡亮汰といえば、俊足で知られるプロ野球選手ですが、あのサニブラウン選手に勝ったことがあるのをご存知でしょうか?そんな中で、五十幡選手が選んだのは「野球の道」でした。
五十幡亮汰選手は 母との約束があった
五十幡亮汰選手が野球を始めたのは、小さい頃。白球を追いかける姿を、誰よりも喜び見守ってくれていたのが、お母さんでした。
練習にも、試合にも、いつも笑顔で付き添ってくれたお母さん。
「亮汰の野球をしている姿が、本当に好き」
そう言って、たくさんの声援と愛情を注いでくれていたそうです。
ところが、小学3年生のときに、突然の別れが訪れます。
お母さんが病気でこの世を去ったのです。
母を失うという現実は、あまりにも大きすぎました。
それからしばらく、何も手につかない日々が続いたといいます。心の中にぽっかりと空いた穴は、簡単には埋まりませんでした。
でも、生前お母さんが書き残してくれていた手紙が人生を変えました。
「あなたが野球をしている姿が本当に好きでした。どうか夢をあきらめず、プロ野球選手を目指してがんばってね。」
その手紙は、深い悲しみに沈んでいた亮汰選手の心に、静かに、でも確かに灯をともしたのです。
「もう一度、野球を頑張ってみよう」
「お母さんに、プロになった姿を見せたい」
陸上ではなく野球の道へ
中学では陸上でもめざましい成績をおさめ、全国大会で100メートル・200メートルの2冠という快挙。将来はオリンピックも…と、陸上界からも熱い視線が注がれました。
けれど、五十幡亮汰選手は迷わず「野球の道」を選びました。
理由はただひとつ。母が一番応援してくれていた野球だったからです。
母の願いを胸に、高校では野球一本に絞り、埼玉県から栃木県の佐野日大高校へ進学。甲子園出場を目指して懸命に汗を流しました。
残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、高校時代もその俊足は群を抜いていて、相手チームにとっては常に脅威。外野手としても走塁でも、存在感は圧倒的でした。
母との約束。
そしてドラフトで北海道日本ハムファイターズから指名。
ついに、幼い頃からの夢だった「プロ野球選手」という道へ。
心の中には、いつもあの手紙があります。
母がのこしてくれた手紙が、どんな苦しい場面でも彼を支えてきたのだと思います。
もし、お母さんがご健在だったら、プロ入りの喜びを一番に報告し喜ぶ顔が見たかったに違いありません。
現在、五十幡選手はまだ独身ですが、いつか人生のパートナーと出会い、自分が育ててもらったような「温かい家庭」を築いていくのではないでしょうか。
その時もきっと、母との思い出が心のどこかで生きているのだと思います。
今、五十幡亮汰選手はプロの世界でしのぎを削りながら、レギュラー定着、そして盗塁王という次なる夢に向かって挑戦を続けています。
あの日、母の手紙を読んだ少年が、たくさんの困難を乗り越えてプロの舞台に立っている。
これからも、五十幡亮汰選手のまっすぐな走りを、心から応援しています。
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